私共のお寺にはペット霊園があります。造るきっかけは檀家さんたちから、先に逝ったペットたちと同じところにいたいのでペットのお墓や納骨堂が欲しいという声が挙がってきたからでした。そうした話を聞くたびに私共は、ペットが家族として扱われていることを実感していきました。
 このようなきっかけではありましたが、霊園を造るには他の目的もありました。一つ目は、檀家さんだけでなく地域の人たちに貢献するお寺にしていくのが私共の目標ですから、檀家・非檀家の別なくお寺にこられるようにしたかったのです。
 二つ目は、ペット霊園の収入を、地域に貢献する施設の建設資金にしたかったからです。家族と暮らしたペットのご供養のためのお金が、地域の方々のために使われるのは、ペットを亡くしたご家族にとっては、心の救いになるのではないでしょうか。この世に生を受けたものは、みんな関連しあって生きています。この世での生を終えた命が、違う命の役に立って関連しあっていることを、ペット霊園を通して実践したいと思ったのです。
 三つ目は、子どもたちの生命教育と宗教的な情操教育がペット霊園を通してできるのではないかと思えたのです。今、ほとんどの人は病院で亡くなります。臨終にあたっては家族さえも病室の外に出されてしますことが多いのです。大人に対してさえそうですから、まして子どもは死の瞬間に立ち会い、その厳粛さに直面する機会が少なくなってしまいました。そのために死んだら二度と戻ってこないことが実感として解らなくなりました。お葬式でも子どもたちは「蚊帳(かや)の外」です。儀式が流れ作業のように執り行われ、大人たちの意見で全てが進みます。子どもにとって故人がどんなに大切な人であっても、どんなに言いたいことがあっても、意見がお葬式に反映されることはほとんどありません。死もお葬式も子どもにとっては遠いものになってしまっているのです。こうした状況にある子どもたちに、死の現実とその後の悲嘆に対処する方法をお寺で提供したいと思ったのです。
 ペットは家族だけでお弔いをします。ですから子どもが主体的に参加できます。一緒に来た家族とともに、心から悲しみの涙を流します。子どもたちはそうした場に身をおいて、「死んだらこんなに悲しいんだ。自分のときはどんなに悲しむだろう」 「家族の1人が死んだらこんな思いをするんだ」と推測できるようになります。また、両親や祖父母は、子どもたちにお線香やお花、お供物の捧げ方を教え、ご供養の方法を教えます。そして誰の目も意識せず、急かされることなく心ゆくまで祈り、互いに亡くなったペットの思い出を語ります。
 私共のペット霊園は「死んだら家族がどんなに悲しむか」 「命がどんなに尊いものであるか」 「だから他の命も大切にしなくては」を子どもが学ぶ所にしたいと願っているのです。

 

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