令和元年  師走     
住職のつぶやき
          花井山 大洞院 三十一世住職 櫻井大文
 仏祖(ぶっそ)憐(あわれ)みの余り広大(こうだい)の慈門(じもん)を開き置けり、是れ一切衆生(いっさいしゅじょう)を証入(しょうにゅう)せしめんが為なり、人天(にんでん)誰か入らざらん、彼の三時(さんじ)の悪業報(あくごっぽう)必ず感ずべしと雖(いえど)も、懺悔(さんげ)するが如きは重きを転じて軽受(きょうじゅ)せしむ、又(また)滅罪清浄(めつざいしょうじょう)ならしむるなり。
                              (修証義第2章総序一節)

 簡単に説明すると、「仏祖や祖師方は、私達の悲しみや苦悩を理解し、全ての人を包み込む慈悲の門を開いて待ってくれています。人間界・天上界・六道に住む迷いの人達は、必ず悟りの道に導かれます。
 善悪の行いが未来永劫に影響を及ぼすこと(悪業報)を理解し、悪業の結果を受け入れて悔い改める者は、転じて苦悩から脱却し身軽になります。三毒《根本的な三つの煩悩(貪欲(とんよく)・瞋恚(しんい/しんに)・愚痴(ぐち))》もまた消滅し清らかになるのです」。
注: 三毒:貪欲(むさぼりの心)・瞋恚(いかりの心)・愚痴(おろかな心)

 修証義の2章は「懺悔・滅罪(さんげ・めつざい)」を主題としています。懺悔とは、「仏の目に照らされて、己の至らない面に対して謙虚になる」ということです。自分自身を見つめ直すことが必要なのですが、私達は「自我」が強く、なかなか仏の目線で自己分析が出来ません。
 坐禅の教えにも「身心脱落:自我の脱落こそが修行の根本」という言葉があります。道元禅師(曹洞宗の開祖)の中国での師・如浄禅師の言葉です。
 日常の中で他人を思いやる事の出来る人がどれだけいるでしょうか。親族の間でさえ思いやりの心が希薄になっているようにも見えます。
 私たちの体の中には、先人の智慧が受け継がれています。御先祖様に感謝なくして自分の幸せな未来などありません。しっかりと先祖供養をすることが、幸せへの正しい道なのだと思います。