令和元年  水無月
     住職のつぶやき
                              花井山 大洞院 三十一世住職 櫻井大文
善悪(ぜんあく)の報(ほう)に三時(さんじ)あり、一者順現報受(ひとつにはじゅんげんほうじゅ)、二者順次生受(ふたつにはじゅんじしょうじゅ)、三者順後次受(みつにはじゅんごじじゅ)、これを三時(さんじ)という、仏祖(ぶっそ)の道(みち)を修習(しゅうじゅう)するには、其最初(そのさいしょ)より斯三時(このさんじ)の業報(ごっぽう)の理(り)を効(なら)い験(あき)らむるなり、爾(しか)あらざれば多(おお)く錯(あやま)りて邪見(じゃけん)に堕(お)つるなり、但邪見(ただじゃけん)に堕(お)つるのみに非(あら)ず、悪道(あくどう)に堕(お)ちて長時(ちょうじ)の苦(く)を受(う)く。
                              (修証義第1章総序五節)
 解釈すると、私達自身の善悪の行いの影響には、三つの時間差があります。一番は今の行為にすぐに反応が表れます。二番はしばらくして、あるいは次の時代に表れます。三番は遥か後、忘れた頃に表れます。これを善行悪行の三つの時間差といいます。
 仏と祖師の悟りの道を学習修行するためには、初めからこの三段階の影響力をよく学び実践するべきです。そうしないと大抵の人は道を間違えて誤った見解に陥ります。間違った思想に陥るばかりでなく、悪を悪と思わない悪道に陥って、長い間の苦しみを受けるのです。
 現世利益を得るためにひたすらに善行を重ねのもよいですが、必ず得られるわけではなく、子・孫と時代を経て帰ってくるものがあります。常に先祖を大切にし、仏壇やお墓をきれいにすることは、きっと次世代につながる善行です。その縁を切らさないように伝えつなげていただきたいものです。