平成31年  如月
     住職のつぶやき
                              花井山 大洞院 三十一世住職 櫻井大文
 今の世に因果(いんが)を知らず業報(ごっぽう)を明(あき)らめず、三世を知らず、善悪を弁(わきまえ)えざる邪険(じゃけん)の党侶(ともがら)には群(ぐん)すべからず、大凡(おおよそ)因果の道理歴然(どうりれきねん)として私なし、造悪(ぞうあく)の者は堕ち修善(しゅうぜん)の者は陞(のぼ)る、毫釐(ごうり)も忒(たが)わざるなり、若し因果亡(ぼう)じて虚しからんが如きは、諸仏の出世あるべからず、祖師の西来(せいらい)あるべからず。     (修証義 第1章序四節)

 解釈すると。人生において心の縁起を知らず、心の習慣に理があることに気がつかず、過去の縁にも理がある事を知らす、善悪の区別の出来ない人と付き合うべきではない。根本的に心と行為の縁起の理は明白である。悪行は地に堕ち、善行は極楽へ上がる。お釈迦様の教えは人々を救い、達磨大師がインドから中国へ来た理由も縁起でしょう、そこに疑いはりません。
 大洞院の法要で皆さん一緒にお経をお唱えします。その功徳はお釈迦様に、ご先祖様に、自分の大切な御霊に届き、救われるでしょう。
 私達もきっとお釈迦さまの世界で再開できるでしょう。その日の為に正しい行いを続けましょう。